History

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私が税理士業に辿り着いた理由は、恐らく、私の精神の根底に流れる亡き父への思いがあるのかもしれません。私には2人の父親がいました。1人目は、私が1歳の時に肺がんで亡くなりました。当時、弱冠25歳で会社を興し、前途洋洋たる最中に27歳で死去しました。2人目は、私が6歳の時に母親が再婚したもので、再婚と同時に事業を起こしたものの、資金的に行き詰まり、結果、離別しました。

人間とは生まれながらに不平等なもので、物心付いたころから銭金には苦労していましたね。食うに困ることは無くてもギリギリの生活、それこそ、義務教育終了後は就職しか道は無かったと思っていましたので・・・。親類の援助もあり高校進学はできましたが、大学進学なんて経済的には到底無理な母子家庭、せめて高校の3年間だけは何か一つのことに打ち込もうと始めたのが陸上競技でした。始めた当初なんて掃いて捨てるほどいる「その他大勢」の一人で、県大会に出場できれば御の字と思って練習に励み、高校2年生の新人大会では100mで4位入賞できました。が、しかし、翌年の高校総体を考えた時、今の実力では到底東北大会なんて出場できません。練習に打ちこめれるのもこれが最後との悲壮な決意のうえ、2年から3年の冬季期間は人の3倍の練習量を自己に課しました。結果、3年生の県高校総体では100mと200mでどちらも2位となり、これがきっかけで大学進学が現実のものとなりました。そしてまた、自分を何処まで追い込めるか?ということと、追い込んだことによる成功体験を学ぶことが出来、この冬季期間が後の私の人生に多大な影響を与えることとなりました。

大学は順当に教育学部の保健体育科に進み、この段階までは税理士の「ぜ」の字すら意識しておりません。4年間の大学生活後、時はバブル経済絶頂期、迷うことなく民間企業の道へ。そして、一次面接で内定が出た潟Iリエントコーポレーションに就職したのです。現世においては、人間と銭金とは切っても切れない間柄。まさか、霞みを食って生きていけるわけではありません。まぁ、幼い頃から銭金にも苦労しましたし(国立大学でしたけど、授業料を払えるような経済状態ではありませんので、授業料免除の特待生と、育英会の奨学金一種二種と町の奨学金も借りて卒業しました。)、人間のいやらしさや醜さをダイレクトに感じる仕事として金融関連(特にクレジット会社)を選んだのでした。

このオリコでの仕事も、今の仕事に繋がる重要な経験だったと思います。夜討ち朝駆けの営業、他人の懐具合を垣間見て値踏みする信用調査、時には数字欲しさに座り込みをしたり、債権回収で追い込みをかけたり・・・。人生の悲哀の大部分はお金にまつわることなのです。では、お金って何なのでしょうか?こういうようなことを考え出したのが26〜7歳の頃です。また、クレジット会社の営業先といいますのは中小企業が中心です。企業調査やら生命保険・損害保険の販売等を通じて、財務諸表を意識することが多くなり、会計系の仕事に興味を持ったのです。
興味を持つだけでは仕事が出来るわけでもなく、自己啓発の意味も兼ね日商簿記の3級と2級を社内通信教育で独学で勉強をし、次第にこの分野の仕事、とりわけ「税理士」というものに興味を持ち出したのです。まぁ、安定性もありそうだし、個人競技あがりの自分には「独立」できる仕事が性に合っていたのかもしれませんね。

「近代国家において税の果たす役割とは?」なんてことを偉そうに語るつもりはありませんが、この社会のルールとして、社会の一員であり公共財を利用する主体である以上は応分の負担をしなければ社会機能が維持できません。思えば、公立学校や大学、育英会や町の奨学金など、税が維持している公共財や所得の再配分機能があったからこそ今の私があるわけです。

また、法人個人すべからく事業を行う者にとっての経営資源である「人」「物」「カネ」「情報」。なかでも特に「お金」について、日本の学校教育では教えてくれません(最近は「生活」とか「総合学習」の一環で、クレジットとか教えるようですが・・・)。「性教育」と「お金のこと」は学校教育ではタブー視されていますね。でも、揺り篭から墓場までの現世ではお金とは決して切れることはありませんし、「地獄の沙汰も金次第」なんて言われるわけですから、もっと「お金」に対して興味関心と啓蒙が必要なのではないでしょうか?

今の私があるのは「税」の果たす機能と公共財によってです。また、金融という仕事に携わった経験から「お金」の持つ光と影について、一般の方よりは理解しています。それらの知識と経験と、保健体育科と言う典型的な縦社会の中で培われた、四の五の言わずまずは行動(別名「脳ミソ筋肉」とも言いますが・・・)を生かした仕事として税理士業に辿り着いたのです。